ちょっといい話
先日、あるホームページを見ていた時に偶然見つけた、元侍ジャパン小久保監督の手記です。是非ご一読ください。
『私が野球を始めたきっかけは、幼少時の両親の離婚が関係している。
父親がいない家庭で子供を育てると、どこか甘えが出てしまうではないか。
そう心配した母が、厳しい指導で知られた和歌山市内の少年野球クラブへの入部を勧めたのだ。
礼儀正しくあいさつができる子どもに育ってほしい、丈夫な身体に育ってほしい。
野球が上達するしないは二の次だったようだ。
入部は小学1年の5月、それから1カ月もたたないうちに私は「やめる」と駄々をこね始めた。
上級生が監督から叱られているのを見ておじけづいたのだ。
自宅の柱にしがみつき「練習に行かない」と泣き叫んだ。
しかし、母はそんな私を柱から引きはがし、
無理やり自転車の後部座席に乗せてグラウンドに強制連行。
「男が一度やると決めたことは、最後までやり通しなさい」と鬼の形相で一喝された。
あの日のことは今でも鮮明に覚えている。
母の毅然とした行動がなければ当然ながら今の私はないわけで、
泣きじゃくる息子をよくグラウンドまで連れて行ったものだと感心させられる。
その後の人生において自分で決めたことは最後までやり抜くというのをおおむね実践できたのは、
あのときの貴重な経験があったからだと改めて思う。
中学時代にはたまたま練習を見に来ていた母の目の前で、監督から往復びんたを張られたことがあった。
チーム全体がたるんでいるということで主将の私が気合を入れられた。
その際、平然と何事もなかったかのように振る舞う母に対し、なぜか無性に腹が立った。
帰宅するなり、「自分の息子が殴られて何も思わないのか?」と詰め寄った。
台所で洗い物をしていた母はその手を止め、目に涙を浮かべながら
「悔しいに決まってる。ただ、お母さんには野球は分からない。監督にあなたを預けた限り口出しはしない」
と言い切った。
監督との信頼関係が築けていたのは言うまでもないが、母の信念、強さを垣間見た気がした。
そんな母から私は何かを強制的にやらされたり、勝手に決められたりしたことがない。
どんなことでも最終的には自分が納得して判断できるよう、上手に仕向けてもらった。
自分で決めたことなら責任逃れできない。
そう教えたかったのだろう。
昨今、取るに足りないことで学校や指導者にクレームをつける親が増えているという。
子が成長する過程において、親が介入し過ぎるのは概してプラスにならない。
問題が起きたり、うまくいかなかったりするときこそ、その子の「学び」のチャンスだ。
すぐに答えを与えてしまっては、成長の機会を奪うことにもなる。
この子は必ず乗り越えられると信じ、見守ることが何より大切ではないだろうか。
引退後、母から思いがけず丁寧な手紙が届いた。
19年間のプロ生活をねぎらう文面の最後に、こうつづってあった。
「裕紀には教えられることがいっぱいでした。本当にありがとう。」
息子に対し、教えられることがあったと堂々と言える母。
その偉大さを思い知った。
そして、心の底から誇らしかった。』
【小久保 裕紀選手(西日本新聞/提論)より】
偉大な母.pdf (0.15MB)